『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』感想

2021/03/08(月)07:00、立川シネマシティで『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を見た。

 

圧倒されて言葉が出なかった。でも同時に、「エヴァが終わったんだ」と納得させられる映画だった。両立しているのは不思議なことだと思う。映画を受け止められたようで、受け止め切れていないから。

 

まぁ、とりあえず仕事があるので、涙で腫れた目で隠しながら、パンフレットだけ買って帰る。案の定、仕事が手につかず、気づいたら残業していた。

 

22:00、友人と感想を語り合って、雑多でも書き並べてみることにした。

 

AVANT~Aパート

Aパート、AVANTの劇がウルトラ華やかだったことも相まって、めちゃくちゃシーンが長く感じる。でも重要なシーンの連続で泣きそうだった。

 

ケンスケ、トウジ、生きとったんかお前ら……。トウジはともかく、ケンスケがこんな重要なポジになるとは思わなかった、ねぇアスカさん。

 

この「ムラ社会」は、「人類補完計画」なんてなくても、人間が「集団」として生きていける世界として描写されているのだと思う。僅かな大地と水の恵みを糧に生きる、前近代的な暮らしは、生きるために否応なく他人との距離が近くなっていく。

 

シンジも、アスカやレイ・トウジ・ケンスケの優しさに触れて立ち直るし、このムラ社会は「他者との関わり」というメッセージにとって安易な解決策に見えるわけだけど、でも、シンジはこの世界では決して生きていけないんだよね。

 

シンジは、「本当は救いたかったけど、自ら2度も壊しかけてしまった存在達」に逆に救われる。でも、皆14年経って大人になっていて、シンジを友達だと言ってくれるけど、時間が絶望的に離れてしまっている。

 

そして、このムラも、外界から隔離された楽園のように見えるけど、実際はいつ崩壊するか分からない仮初の平和。シンジが守った、守れなかった、守られた、守りたい存在。エモすぎる。優しい音楽を流さないで。

 

「家出」から帰ったシンジがアスカに素直になるシーンで、「あ、これ本当に終わるんだな」って実感してしまった。たぶん、それだけシンジの快復に非可逆なものを感じたんだと思う。

 

Bパートの出撃前30分が一番「終わり」を直接的に描いているけど、Aパートの儚さのほうが重たく「終わり」を意識させられた。

 

Aパートは最後の戦いで「シンジの成長」が勝因になるのだから、本当に尊いシーンだったのかもしれない。

 

閑話

AVANTはバトルシーンでありながら、赤い世界の事実とヴィレの目的を説明するめちゃくちゃ情報量が多いシーン。そのくせ劇の進行がめちゃくちゃ早くて爽快なので、事前に公開されていてよかったなと思った。

 

火力しか考えていない4444Cの造形も、艦艇でビームを弾いてエッフェル塔を突き刺すとち狂った作戦も大好き。

 

田植えのシーン、こんなの作画で描けるんだなぁ~って思ってたら、実写を起こしているらしい。なるほどね。

 

日常描写でも定点カメラの位置がえぐいのは庵野さんらしいけど、実写から起こさないと厳しいらしい。

 

Bパート

最終決戦前、それぞれに決意を固めるクルーたちの絵、めちゃくちゃアツかった……。バックショットでプラグスーツ着る構図、拳を合わせる構図、最高だね。

 

ヴンダー、外見も中身も全部CGモデルあるの? ってくらい3DBGの連続。静かなシーンの連続だけど、Aパートより絵的に豪華なので物語が加速していく気がする。

 

閑話

絵コンテを作らず(‼)、実写・3Dレイアウト・モーキャプなどを駆使してローファイな絵を見てからビデオコンテに起こしていたらしい。なんだそれ! 従来のアニメの作り方を変えたかったらしい。設計図がない状態を彷徨うんだから途方もない時間がかかるんだろうな……。1カットの有り得ん密度はそうして作られたのね。それで前代未聞の155分……

 

Bパートまでは怒涛の伏線回収で、最終回直前で急に優しくなるタイプのアレだった。劇的にもゆったりたシーンの連続で、最後の戦いに臨む全員に触れていくからアツかったけど、そこで終わらなかったのが僕にとって何よりもエヴァンゲリオンだった。

 

Cパート

ヴンダー、突進しかしないの最高にクールだね。そりゃ冬月さんのほうが上手だわ。新2と改8の戦闘もめちゃくちゃかっっこいいし、この辺フルCGだと思うけど、アニメ的な外連味抜群で興奮した。

 

アスカ、『破』からタダで生還できるわけないよね、そのためのDSSチョーカーだったのか。『Q』のアスカは「式浪」ではないし、レイも「綾波レイ」ではない、2人の魂は13号機の中に囚われているってことでしょうか。

 

そして全ての計画が失敗して、ゲンドウがアナザーインパクトを起こした後、最後の希望としてシンジがエヴァに乗ると決意するシーン。号泣した。シンジ君、最高に主人公だったよ……。

 

シンジに頼るしかない一方で、幸せになってほしいから「行きなさい」と言い、不幸せになってほしくないから「乗らないで」と命じたミサトが、最後は逆に、たとえ再び間違いを犯そうと、彼の責任のすべてを請け負うと宣言する……あったけぇ……。なんて優しい物語。大好き。書いていて泣きそうになってきた。

 

自分の行動のケジメを取ろうとするシンジに言う「いってらっしゃい」にすべてが詰まっている。

 

ここで『破』以降初めてミサトの笑顔が見えたんじゃないの。

 

言葉通り、最後に1人残ってシンジに希望の槍を届けるシーンまで合わせて今作のミサトさん完璧でしたね。またヴンダー突進しとるやんけ。

 

閑話

・無数に塵のように浮遊するエヴァインフィニティ、あれ何日でレンダリング終わるんですか……。

・巨大なレイ、実写調の合成した3Dモデルに髪だけ作画のハイブリッド構成なの、何かの意味がありそう。考察して。

 

Dパート

初号機VS13号機、シンジVSゲンドウ……めちゃくちゃアツいじゃん……。現実と虚構が等しい世界、だから「舞台」の内外で戦うような演出……ってことでしょうか。

 

ゲンドウがシンジにATフィールド発動するところ、かっちょいい。一番鳥肌が立った。

 

これまでの劇を通してシンジは成長できたけど、弱さを受け止められなかったのは、自分の妄想に閉じこもったゲンドウのほうだったんだね。

 

初めて明かされたゲンドウの人格、凄く共感して泣きそうだったけど、寂しさを受け止められなかった彼はこの物語において悪であることに変わりはない。

 

エヴァンゲリオンは、自分の身勝手な願いすら叶えてくれる存在。でも、『Q』で散々描かれたように、「自分勝手な願いは、本当の意味では決して叶わない」。「世界より1人の女の子を助けたい」も、「自分の行いを全部なかったことにしたい」も、本当の意味で自分を救うことはできないんだ。うお~~~書いていて熱くなってきた。(そう考えると、エヴァに乗って叶えようとした願いは、これまで一度も完遂できていないのでは?)

 

ゲンドウの「既存の世界を終わらせてでもユイに会いたい」は、シンジの「世界がどうなってもアヤナミを助けたい」「槍を手に入れればすべてやり直せる」とあんまり変わらなくて、その発言の「ケジメをつけ」られるようになったシンジくんが胸アツすぎて泣いてしまった。

 

ゲンドウはエヴァンゲリオン(=自分の願いをかなえてくれる存在)がいる世界を望んでいるけど、シンジは、エヴァンゲリオンのいない世界=他者と生きる世界を望むことができるようになった。

 

エヴァのいない他者と生きる世界とは、現実世界のこと。だから「舞台が剥がれて『エヴァンゲリオン』という物語が役目を終えていく」演出になるんだと思う。

 

役目を終えた劇は、色を失って、動画を失って、ラフ原画になって、そして現実世界の実写映像になっていく。現実とアニメの融合は一番好きな演出の1つで、成長したシンジとマリが現実世界を歩き始める終わり方は凄く好き。何十年も続いたエヴァンゲリオンの終幕としても、これ以上ない切りの良さだったのでは。

 

マリの役目って結局何だったんだろうね。確かにこの役目はレイやアスカでは少しミスリードになりそうだけど。

 

閑話

他人の受け売りだけど、ものすごい熱意と技術でぶん殴られて言葉が出ない。とにかく、シンジが搭乗して以降、次に何が起こるのか本当に分からなかった。

 

「次に来てほしいものが来る」意味で最高の映像は多いけれど、『シン・エヴァ』は一度も見たことがない映像が次々と溢れてきた。

 

エンドクレジットの長さと多様さからもわかるように、最終回として作品のあらゆる可能性に気を配った演出の一方で、やっぱりエヴァは革新的で、最先端なんだと思った。特にあれだけ毛色の違うCGを使い分けるんだから、CGのクレジットは手描きアニメとは思えない長さだった。大変失礼な話だけれど、これを超すアニメを作るには、あと5年は必要なんじゃないかとすら思ってしまう。これも僕の勝手なイメージだけれど、「エヴァンゲリオン」は、生まれてからずっと君臨する、いつまでも終わらない日本アニメの神話のような存在だと思っていた。いつまでも僕らを新しい世界に連れて行ってくれる、素敵なアニメを見せてくれると思っていた。

 

そうか、僕もエヴァンゲリオンに願っていたんだ。これは僕の身勝手な願い。

 

 

忘れたくないこと。

 

それでも僕たちの心に残り続けて、世界のどこかに見つけるんだよな。

 

僕もケジメをつけないと。シンジとマリの行き先を決めるのは、きっと僕たちの役目だと思う。